経塚の十字路から内間に抜ける道の北側の傾斜地にあるのが沢岻1丁目、道の南側から那覇市の境までが沢岻2丁目になっています。
沢岻集落で最も多く見られた表札は 「當間」姓の表札でした。
1時間ほど歩きましたが、犬に吠えられたのは1度きりでした。犬を飼っている人は少ないのでしょうか?
沢岻の拝所
1丁目の傾斜地はほぼ碁盤目状に集落が発達しています。一番高いところには、沢岻の拝所があり、慰霊碑、ゲートボール場などがありました。
沢岻の拝所:入り口の鳥居 拝所 拝所の隣の慰霊碑 拝所からの沢岻集落
沢岻の拝所から北側には、昭和薬科大学附属高等学校があり、そこからさらに西側には、沢岻小学校があります。
昭和薬科大学附属高等学校校舎 沢岻小学校正門
めじろ公園
集落内の西側に小さな公園のような広場(めじろ公園)があり、そこには「オモロの碑」が置かれていました。公園の片隅に「中の殿」という拝所もありました。
オモロの碑 中の殿
浦添御殿の墓
集落の北側の高い場所には、亀甲型の大きな「浦添御殿の墓」があり、周りに小さな公園が整備されていました。
浦添御殿の墓の案内板 浦添御殿の墓
キジムナー公園
浦添御殿の墓の北側、最も高いエリアは、かりゆしタウン(沢岻hills)として宅地開発されており、その団地の入り口には、ちいさなキジムナー公園があり、キジムナーの人形が、大きなガジュマルの木の下にいました。
キジムナー公園
中頭方西海道(なかがみほうせいかいどう)
沢岻1丁目と経塚との境あたりには、中頭方西海道という昔の主要道路があり、案内板が建っていました。