宮城6丁目では、沖縄のメジャーな姓名である「比嘉」姓を多く見ました、その他、「外間」姓、「手登根」姓もある地区にかたまって、多く見かけました、
パイプライン通りを歩いていると、店の名前と場所を記した地図が掲げられていました。しかし、現在地を示すマークが無いので、いったいどこがどうなっているのか、とても分かりづらい地図でした。
何をするお堂なのか、まったくわかりませんでした。
内間中央という名称ではありますが、字内間ではなく、宮城6丁目に存在しています。
店頭精米をしているお米やさんのようです。私は、スーパーですでに精米されて、パックされたお米を買いますが、精米したてのお米は香りも良くて美味しいですよねぇ~
小湾という集落は、 戦後軍用地(キャンプ・キンザー)として土地が接収されてしまったので、小湾の住民は宮城に移住したため、小湾という名称がついているそうです。コンクリート3階建ての立派な自治会館です。
おそらく、Uターン禁止のことだと思います。意味はわかりますが…
鉄棒と幼児向けのシーソー、トイレ、そしてガジュマルが数本生えている広場です。
住宅街の中の、普通の住宅を改築した感じでのお寺です。
黒糖のお菓子を作っている工場と倉庫がありました。